団扇は、平たく、丸い紙製の道具で、あおいで涼を取ったり、火に風を送ったりするために使用されます。 この伝統的な竹製団扇の歴史は、金毘羅宮参拝に訪れた多くの旅人達の一行が土産物としてこれを買った江戸時代初期(17世紀)に遡ります。その後、江戸時代半ばには、団扇生産は丸亀藩の下級士族の手内職として広まりました。団扇の材料である竹(伊予)および紙(土佐)の産地が四国に存在したからです。江戸時代の終わりには丸亀団扇は年産80万本に上り、丸亀は日本一の生産地となりました。明治維新後も生産量は大幅に増大、昭和30年代初頭の最盛期には、年産1.2億本を記録するまでになりました。 しかし、その後、丸亀の団扇作りそのものにも技術革新の波が押し寄せ、劇的な変化を蒙ることになりました。より効率の高い扇風機やエアコンが主流になり始めたのです。また、安価なプラスチック製団扇の生産が昭和42年に始まりました。丸亀団扇は涼をとるという本来の使命を終えるなかで、プラスチック製団扇は、無料で配布される宣材として生き残る道を見出しました。このため、人件費が嵩む伝統的な竹製団扇は生産が激減してしまいました。 伝統的な竹製団扇の製造技術は中国に技術移転され、中国人労働者が中国の材料を使って中国で生産され、丸亀市に納められているというのが実態です。丸亀市には伝統的な竹製団扇を人手で作る産業技術は最早無くなっているのです。 実は丸亀団扇の産業技術変遷に似た事象は、その他の製品にも見られます。即ち、繊維製品、家具、仏壇、電子部品、ソフトウェア開発に至る広範囲の産業で、着実に日本人労働力が不要になりつつあります。暑い夏の最中、一時の涼を求め、伝統的な丸い竹製の団扇で扇ぐたびに、近代技術の発展が、結局は日本の失業率増大に寄与しており、日本における労働力の在り方を思い直さざるを得ません。
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