地中海文化圏(古代)

 この文化圏は遅れて成立し、他の三つのように四大文明には属しません。特にエジプト文明の影響を強く受けて発達し、結局これに取って代わりました。この文化圏はバルカン半島のギリシア人よって始められました。この地域は地中海性気候で冬には若干雨が降るが、年間の降水量は少なく、大きな川もありません。そのため山がちで、灌漑農業は不可能です。果樹栽培や牧畜が主な産業となります。そのため自給自足が効かず、貿易が前提となり、都市国家が発達しました。ギリシア人はクレタ文明の支配から独立し、まずミケーネ文明を築きました。これは青銅器文明で、トロイア戦争で有名です。しかし前1200年ころに外敵の侵入でこれらの城塞都市は破壊され、400年間にわたる暗黒時代が続きました。

前8世紀になると再びアテネやスパルタのようなポリスが形成され、本来のギリシアの文明が発達します。普通都市国家が形成されると、次第に領域国家、統一国家へと発展しますが、ギリシアはポリスの段階が異常に長く、その中で民主化が進展し、王政から貴族政、さらに民主政に発展していきます。小さなポリスが周りの大国ペルシアなどに対抗するためには団結が不可欠です。また、周辺への拡張が難しいので、植民活動が盛んとなり、商業活動により、富裕な平民が増え、安くなった武器を手に入れ、重装歩兵として活躍したことが大きな促進要因となりました。こうして人間中心で合理的なギリシア文化が開花しました。しかし遅いだけでギリシアもいずれは統一国家へ向かっていきます。まずペルシア戦争で活躍したアテネが覇権を握り、それがスパルタ、テーベへと移行し、最後にはマケドニアが統一を達成します。アレクサンドロスはペルシア遠征に成功し、オリエントも支配し、ヘレニズム時代を築きますが、結局オリエント的な専制国家を形成します。彼の死後、これがプトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリア・マケドニアに分裂します。

 一方イタリア半島にポリスを形成したローマは約200年遅れでギリシアの後を追いかけます。似たような民主化の過程をたどりますが、ローマの方が強い行政権を好むとか、元老院のような古い長老会議をいつまでも残すとかに特徴があります。ローマは前3世紀の半ばに民主的共和政を完成するとともにイタリア半島の統一に成功します。

その後ローマはポエニ戦争でカルタゴを破り、地中海の支配に成功し、多くの属州を支配するようになります。多くの土地と奴隷を手に入れた富裕層はラティフンディアと呼ばれる奴隷制大農場を始め、長年の戦争で疲弊して無産市民化した貧困層との階級対立が激化し、内乱の一世紀と呼ばれる混乱期に突入します。その中で、属州で力を蓄えた軍人が台頭し、ついに前27年にローマは帝政に移行します。小さなポリスでは市民の自治が有効でしたが、大領土になると官僚・軍事機構の整備が不可欠となります。

オクタヴィアヌスが元首政を始めましたが、共和制の伝統、具体的には元老院の権威を保ち、また対外的には平和政策を採用しました。ローマは安定し、この後五賢帝時代までの200年間にわたり、「ローマの平和」と呼ばれる繁栄期を築きます。しかしその間にも機構の肥大化は進展し、体制の硬直化とともに財政難が深刻になります。ディオクレティアヌスは専制君主政を始めます。また、平和になって奴隷の供給が難しくなっていたラティフンディアは重税を逃れて都市から地方へ移転し、コロナートゥスという農奴的な小作人を使用した自給自足的な農場に代わります。この結果ローマの貨幣経済は衰え、地方に軍人が割拠するようになり、内部から封建社会化していきます。

地中海文化圏(古代)

1)、ギリシア

1、自然条件…土地は 石灰岩 質でやせ、雨は少なく、夏の乾燥は激しい→オリ−ヴ・ぶどうなどの 果樹 栽培や 羊 などの牧畜→貿易必要

2、ミケ−ネ文明…前15〜前12世紀、ギリシア本土のミケ−ネ・ティリンス中心、アカイア人がクレタ文明の影響をうけ建設…青銅器文明、城塞建設、線文字B→外敵の侵入→暗黒時代…混乱期、 鉄器 時代へ移行→生産力の増加

3、ポリスの成立…貴族の指導により アクロポリス を中心に集住(前750年ころ)、オリエントとの交易が容易な沿岸部中心→交易が活発化

4、民主化の進行…前7世紀後半より、商工業の発達、貨幣の普及→中小農民・商人・手工業者の台頭…武器自弁→ 重装歩兵 の密集部隊が国防の中心→参政権要求→貴族政の動揺

5、アテネの民主化…ドラコンの法律(前7世紀末)、慣習法の成文化→ソロンの改革(前 594)、 財産政治 (金権政治)の実施、 債務奴隷 の禁止→僭主政治、(前 561〜、ペイシストラトス)→ クレイステネス の改革(前6世紀末)、オストラシズムの創始、民主政治の成立→ペルシア戦争(前500〜前449)→ ペリクレス 時代(前443〜前429)、古代民主政治の完成→衆愚政治…デマゴーグの活躍

6、アテネとスパルタ

  

ア テ ネ

ス パ ル タ

部族

イオニア人

ドーリア人

場所

アッティカ地方

ペロポンネソス半島

人口

構成

市民=43,000人(4〜5人の家族)

在留外人=28,500

奴隷=115,000

ペリオイコイ=2万人

市民=15002000

ヘロット=5万人

産業

商工業発達

農業中心、貨幣の使用禁止

政治

民主化進展

貴族的民主政

7、文化…明るく合理的で人間中心

イ、最大の文化遺産…哲学、万物の根元を研究するイオニア自然哲学が最初→ソフィスト→三大哲学者…ソクラテス・プラトン・ アリストテレス 

ロ、宗教 オリンポス の12神を中心とする多神教

ハ、文学…貴族政期=叙事詩、 ホメロス 『イリアス』・『オデッセイア』→民主化の開始期=叙情詩、サッフォーなど→民主化の進展期=悲劇、アイスキュロス、ソフォクレス『 オイデュップス王 』、エウリピデス→喜劇…アリストファネス

ニ、歴史 ヘロドトス 、歴史の父、物語的→トゥキディデス、科学的

ホ、美術・建築…調和と均整美を追究、ドーリア式・イオニア式・コリント式の円柱形式、 フェイディアス 『アテナ女神像』

8、マケドニアの興隆… フィリッポス2世 、ギリシア世界の統一→アレクサンドロス大王の東方遠征(前334〜前324)→東西融合政策…ギリシア人の東方移住、社会のオリエント化…王=専制君主、ペルシア風の宮廷儀礼→ヘレニズム三国に分裂→ヘレニズム文化発達…ギリシア文化の模倣・普及だが、 ストア派 やエピクロス派の哲学の成立、自然科学の発達

2)、ローマ

1、イタリア人の南下定住…前1000年ころ、インド=ヨ−ロッパ語族、鉄器使用→その一派の ラテン人 が前7世紀末ティベル河畔に都市国家建設、原始王政→貴族的共和制

2、ローマの民主化…聖山事件、 護民官 の設置(前 494)→ 十二表法 制定(前 450)、慣習法の成文化→ リキニウス=セクスティウス法 の制定(前 367)、コンスルの一人は平民、公有地占有面積の制限→ ホルテンシウス法 (前 287)、平民会の決議が国法となる、平民の法的平等化達成→民主的共和政

3、イタリア半島の統一(前4世紀初期〜前 272)…イタリア人諸都市の盟主→エトルリア人征服(前4世紀初)→ギリシア植民市の征服→巧妙な分割統治→ ポエニ 戦争(前264〜前146)、地中海地域の制覇

4、社会の変化…戦争の連続、農民の疲弊、大土地集中と ラティフンディア (奴隷制大農場)の発達、属州からの安価な穀物の流入→自作農の没落→無産市民の増加、貧富の対立激化、軍隊の傭兵化→内乱の一世紀(前 133〜前30

5、元首政( プリンキパトゥス )の成立…オクタヴィアヌスが前27年にアウグストゥスの称号→共和政の形式を残した帝政、元老院尊重、実際は独裁政治→軍の再編、官僚組織の整備、属州政治の改革、 ロ−マ市 の美化→平和政策…トイトブルクの戦い後、 ライン川 ・ドナウ川が国境線→ロ−マの平和、オクタヴィアヌスから 五賢帝 までの約2世紀間

6、ロ−マ帝国没落の原因… 軍隊・官僚機構 の巨大化→都市に重税→都市の衰退→貨幣経済の衰退→ ラティフンディア の解体→コロナ−トゥス制の成立、自給自足的、大所領の独立化→ 封建社会 化、ゲルマン民族の侵入

7、文化…独創性に欠けるが、実用性に優れる

イ、最大の文化遺産… 法律 、『ローマ法大全』

 ロ、土木・建築…アーチ・ドームの使用、大浴場、凱旋門、闘技場、道路、水道

 ハ、歴史…リヴィウス『ローマ史』、タキトゥス『ゲルマニア』、 ポリビオス =政体循環論

 ニ、哲学… ストア哲学 の流行、セネカ『幸福論』、エピクテトス、マルクス=アウレリウス=アントニヌス『自省録』

 ホ、キリスト教…帝政初期に 皇帝崇拝 と対立して迫害、ネロ、デイオクレティアヌス→公認、 コンスタンティヌス帝 →国教化、テオドシウス帝