南アジア文化圏 インドは基本的には暖かく、雨もよく降り、自然の恩恵に恵まれています。しかしその反面、自然の変化が激しく、人為的な努力が通じにくい社会です。雨が降る時は洪水となり、降らない場合には干ばつになることもあります。また、インダス川の流域・ガンジス川流域・デカン高原では自然状態が全く異なります。一般に都市国家が成立すると、従来社会を指導していた神官は官吏となり、戦士は軍人となり、国王の下に組織され、王権が発達します。しかしインダス文明においては、上下水道の整備などすぐれた計画都市を築く文明を持ちながら、大きな神殿や宮殿はなく、王権よりもむしろ神官が大きな力を保持し続けました。すでに牛の神聖視も始まっていました。 あとから侵入してきたアーリア人も基本的にこの傾向を受け継ぎ、バラモン教を中心とした社会を築きました。機構の整備なしに、宗教で社会秩序を保とうとすると、僧侶であるバラモンの権威を絶対的にし、カースト制度のような階級制度を強化して社会を安定化する必要がありました。例え社会が停滞しても、安定を重視し、バラモンを通じて神の恩恵にすがる社会が発達しました。 しかし社会を固定化しようとしても、発展は止めることはできず、鉄器が発達してアーリア人がガンジス川に進出すると、次第に領域国家が発展し、王権が伸張します。武人であるクシャトリヤや大商人が力を持ち、祭式万能のバラモンの支配に抵抗していきます。社会の変化に対応して、内面の思索を重視したウパニシャッド哲学が発達し、仏教やジャイナ教が成立しました。仏教はカースト制度を否定して人類の平等を唱え、精神的な修行を重視しました。統一国家の形成のためには、カーストの枠を越えて連帯する必要があり、仏教は王権により支持されました。仏教を保護した王朝としてはアショーカ王のマウリヤ朝やカニシカ王のクシャーナ朝が有名です。しかしインドでは政権は安定せず、王朝も断続的にのみ存続しました。しかもクシャーナ朝は中央アジアに成立したイラン系の王朝で、インドの人々には外国人により押しつけられた宗教というイメージが生じました。 次のグプタ朝は民族的で伝統的な文化が重視され、バラモン教を改善したヒンドゥー教が発達しました。仏教は僧院では保護されましたが、大衆からは遊離し、のちにイスラーム勢力が僧院を破壊すると、インドでは衰退しました。これに対してヒンドゥー教は精神的な支柱としてインド社会に根を張りました。16世紀にはついにムガル帝国の支配下に入りますが、それでもイスラーム化は余り進まず、インドではヒンドゥー教が主流に留まりました。なお、異民族がカイバー峠を越えてインドに進出し、支配したことはしばしばありましたが、逆にインドのアーリア人がこの峠を越えて進出したケースはありません。 南アジア文化圏 1、インダス文明…前2300年ころから、 モエンジョ=ダロ や ハラッパー などの計画的な都市国家…大浴場、上下水道の整備、印章、彩文土器、牛の神聖視、大きな神殿や宮殿はなし 2、アーリア人…前1500年ころにインダス川流域に進入、リグ=ヴェーダの成立→前1000年ころからガンジス川流域に進出、 バラモン 教・カースト制度の発達…バラモン最高の身分的区別厳重、職業世襲、異なる身分間の婚姻や共同食事などの禁止→社会の固定化→ バラモン (司祭者)・ クシャトリヤ (武士・貴族)・ヴァイシャ(庶民)・シュ−ドラ(奴隷)の四つの身分 3、国家統合の進展… クシャトリヤ ・ ヴァイシャ の勢力伸張→バラモン教の祭式万能化やカ−スト制度に不満…社会の発展を阻害→批判的空気 4、 ウパニシャッド 哲学の発達…前7世紀ごろ、内面的な思索重視→ 梵我一如 、 輪廻 からの解脱→前6世紀マガダ国の発展→仏教・ジャイナ教などの新宗教の成立 5、仏教の成立…前5世紀ごろ、シャカ族の王子 ガウタマ=シッダ−ルタ が創始…無常観に立脚、 カ−スト 制度を否定、人類の平等強調、 精神的修業 を重視→八正道実践による生老病死の苦しみの克服=解脱…中道の精神、無我の立場、慈悲の心→クシャトリヤ の支持 6、マウルヤ朝(前4〜前2世紀)…アレクサンドロスの侵入が刺激となり、前4世紀末、 チャンドラグプタ が建国…首都は パ−タリプトラ 、インド最初の統一王朝→ アショ−カ 王の統治(前3世紀)…カリンガなど征服して南端を除くインドの大部分を統一→仏教を国家統治の基本精神… ダルマ の重視、 磨崖碑 ・石柱碑の設置、ストゥ−パの建立、 仏典結集 、 スリランカ などへの対外布教(南伝仏教)→アショーカ王の死後に分裂 7、クシャーナ朝(1〜3世紀)…イラン系遊牧民が中央アジアに樹立、首都 プルシャプラ 、陸上交通路の要地として繁栄…西にパルティア、東に後漢→2世紀の カニシカ 王時代に最盛期→仏教保護、仏典結集→ 大乗仏教 の成立…菩薩信仰中心、広く衆生の救済をはかる→ ガンダ−ラ美術 の発達…ヘレニズム文化の影響、仏像作製→シルク=ロ−ドを通じて中国・朝鮮・日本などへ伝播→ 北伝仏教 →3世紀にササン朝の進出…衰退 8、サータヴァーハナ朝…マウリヤ朝の支配下で文化発達、前1〜後3世紀に西北インドから南インド支配、ドラヴィダ系、ア−ンドラ朝とも言う、ローマとの海上貿易で繁栄→サ−ンチ−のストゥ−パ、竜樹(ナーガール=ジュナ)の活躍→チョーラ朝 9、グプタ朝(4〜6世紀)… チャンドラグプタ1世 建国…首都は パ−タリプトラ、復古的、民族主義的傾向→4世紀末の チャンドラグプタ2世 (超日王)時代に最盛期→古典文化の黄金時代… サンスクリット 文学が宮廷中心に発達=カ−リダ−サの『 シャクンタラ− 』、純インド式のグプタ様式の美術発達= アジャンタ− 石窟寺院・エロ−ラ石窟寺院など、天文学・医学(薬草学→錬金術)・数学(0の発見、数字の発明)などの科学の発達、但し歴史への関心は希薄で、むしろ中国の渡印僧が重要な記録を残す 10、ヒンドゥ−教の発展…特定の開祖をもたず、バラモン教と民間信仰が融合、仏教の影響も加わり自然にできた宗教、ブラフマ−(創造)、 シヴァ (破壊)、 ヴィシュヌ (護持)が三大主神→ マヌ法典 の完成…インド人の生活指導書、固定化した身分社会を理想→仏教の教義の研究は全盛期、 ナ−ランダー僧院 の建立、しかし民衆の宗教としての仏教は衰退、密教の発達 11、ヴァルダナ朝…6世紀に台頭、 ハルシャ=ヴァルダナ (戒日王)が建国、古代インド最後の統一国家…仏教の保護、唐僧 玄奘 の渡印→7世紀後半以降分裂時代→8世紀以降 イスラーム 勢力が優勢 |