イギリス史1:議会政治の発達 イギリスの先住民はローマの発展以前に西ヨーロッパで力を持っていたケルト人です。『アーサー王物語』は本来ケルト人の伝説に基づくものでした。ガリアの支配に成功したカエサルが初めてブリタニアへ進出しました。その後トラヤヌスの時代にはニューキャッスル辺りまで領土が拡大し、その少し北にローマの長城が築かれていました。 ゲルマン民族大移動のさいにはドイツ北部にいたアングロ=サクソン人が大ブリテン島に渡り、七王国を建設しました。9世紀にはウェセックス家のエグバートが七王国を統一し、アングロ=サクソン王国を建設しました。 その後ノルマン人の侵入が始まりますが、9世紀末にアルフレッド大王はこれの撃退に成功しました。しかし11世紀になると、デーン人のクヌートがイングランドを征服します。その後一時ウェセックス家が復活しますが、1066年ノルマンディー公ウィリアムが王位継承権を主張して攻め込み、ノルマン朝を建設します。このころは十字軍遠征の直前で、西欧諸国では荘園制度が発展し、商業が復活し、次第に王権が強化されている時期でした。ノルマンディー公国でフランスの荘園経営を学んだノルマン人はそれをイギリスに取り入れ、経済を発展させました。また征服の勢いを利用して一挙に強い王権がつくられました。従来のアングロ=サクソン系の人々にはこれは「ノルマンのくびき」として受け止められていました。 12世紀の半ばにプランタジネット朝が始まりますが、フランス西半部をも領有して大勢力を築いていました。リチャード1世は第三回十字軍で活躍し、他の国々では人気でしたが、自国を顧みないとしてイギリスでは不人気でした。その弟のジョンは王位を奪い、失政を続けました。フランス王フィリップ2世と戦ってフランスの領地の大半を失い、さらに教皇インノケンティウス3世と争って破れ、イギリス全土を教皇に寄進しました。この間財政難に陥り、不当に重税を課したので、貴族は結束して反抗し、1215年にマグナ=カルタを認めさせました。王も慣習法に従うという原則が打ち立てられ、ここにイギリス立憲政治の基礎が据えられました。次のヘンリ3世はマグナ=カルタを無視したので、シモン=ド=モンフォールが貴族を率いて反乱を起こして王を破り、1265年貴族と高位聖職者の諮問会議に州と都市の代表を招くことを認めさせました。これがイギリス身分制議会の始まりとなります。その後エドワード1世は1295年に模範議会を招集し、議会を制度化しました。さらに14世紀半ばには、議会は高位聖職者と大貴族を代表する上院と、州と都市を代表する下院とに分かれました。その後両院は対等とされ、法律の制定や新課税には下院の承認が必要となりました。身分制議会の最大の機能は課税承認権にありますが、これはある程度強化された王権をチェックすると同時に、王権にとっても国民の了承を確保する場として重要になっていました。 フランスでも次第に王権が強化され、14世紀になると毛織物産地として重要なフランドル地方を直接支配下におこうとしました。一方この地方に羊毛を輸出していたイギリスはこれを阻止しようとしました。カペー朝が断絶してヴァロア朝が成立すると、イギリス国王エドワード3世は王位継承権を主張し、百年戦争が始まります。初めはイギリス軍が圧倒的に優勢で、フランスは黒死病の流行やジャクリーの乱に苦しみ、シャルル7世の時には崩壊寸前の危機にありました。この時にジャンヌ=ダルクが現れ、フランスの国民意識を目覚めさせ、最終的にフランスを勝利に導きました。またイギリスでもワット=タイラーの乱が起こり、農奴制が原則として廃止され、独立自営農民が成長するようになりました。この長期間の戦いにより、英仏の諸侯・騎士は没落しましたが、イギリスではその責任追及の意識からランカスター・ヨーク両家による王位継承の内乱が起こりました。これがバラ戦争です。最終的にヘンリ7世がテューダー朝を開いて、内乱を終息させますが、彼は星室庁裁判所を置き、力を落とした諸侯・騎士を押さえ込む体制をつくり、絶対王政に道を開きました。 次のヘンリ8世は離婚問題から教皇と対立し、首長法を発布し、教会を王権の支配下におさめます。またこの頃第一次エンクロージャー運動がおこり、羊の飼育がさかんになりました。エドワード6世時代に教義面の改革が進みましたが、フェリペ2世と結婚したメアリ1世の時代にはカトリックが復活し、貿易面でスペインのいいなりになります。この不満を背景にエリザベス1世が登場すると、統一法が出され、イギリス国教会が確立します。彼女は密かに密貿易を支援し、直接毛織物の輸出に力を入れ、オランダ独立運動が起こるとこれを積極的に支援し、ついにアルマダ戦争でスペインを破り、制海権を手中におさめます。彼女は重商主義政策を推し進め、東インド会社を設立し、海外貿易に力を入れるとともに国内の商工業を育成しました。 エリザベス1世の死後、ステュアート朝が始まりますが、ジェームズ1世は議会を無視して新税を取り立て、大商人に独占権を与え、イギリス国教会を強制し、市民階級、特にピューリタンの反発を買いました。次のチャールズ1世も同じ専制政治を踏襲したので、議会は1628年に権利の請願を可決しました。彼はその後議会を開かず、無視して政治を行いましたが、スコットランドの反乱により、議会を招集せざるを得なくなります。議会は王を激しく批判し、ついに王党派と議会派の内戦に発展します。苦戦していた議会派は、独立派のクロムエルが鉄騎隊を編成すると、勝利をおさめます。その後彼は議会から長老派を追放し、1649年にはチャールズ1世を処刑して共和制を樹立しました。彼はピューリタンの粛正主義に基づき、産業の自由を保障すると同時に厳粛な生活を求めました。また、より急進的な水平派を弾圧するとともに、王党派の拠点となったアイルランドやスコットランドを制圧し、アイルランドの植民地化を行いました。 彼の死後、王政復古がなされますが、これはむしろ議会の復活でありました。しかしチャールズ2世は専制的な姿勢を強め、カトリックの擁護を試みましたので、議会は審査法や人身保護法を制定し、立法府としてその存在を主張していきます。次のジェームズ2世もカトリックと絶対王政の復活に努めたので、1688年に議会は、彼の長女で新教徒のメアリとその夫であるオランダ総督を招きました。ジェームズは抗戦をあきらめ、亡命したので、二人は権利の宣言を受け入れウィリアム3世とメアリ2世として共に王位につき、名誉革命が達成されました。権利の宣言は権利の章典として制定され、ここに議会主権に基づく立憲王政が確立されました。 その後アン女王時代にイギリスとスコットランドは合同し、大ブリテン王国となりました。彼女の死後ハノーヴァー朝が始まりますが、ジョージ1世はイギリスの事情がよくわからず、内閣を尊重し、ホイッグ党のウォルポール首相時代に責任内閣制が形成されました。 対外的にはイギリスはエリザベス1世時代に制海権を把握しました。しかし彼女の死後市民革命前夜となり、オランダに押され、アンボイナ事件を契機に香料諸島から撤退し、インドに専念するようになりました。第一次英蘭戦争後はフランスがライバルとなりました。両国はヨーロッパ大陸でも植民地獲得競争でもことごとく対立し、第二次英仏戦争が始まりました。フランスが絶対王政の全盛期のころは自由主義的な傾向を強めるイギリスに有利な時期もありましたが、イギリスは制海権を保有するだけでなく、経済力を高め、さらにヨーロッパ大陸のことに余り関わらずに済んだので、最終的に勝利をおさめさました。 ノルマン朝の成立 1、先住民…
ケルト人 →ローマの進出→長城の建設 2、 アングロ=サクソン族 の侵入(5世紀)→ 七王国 (ヘプターキー)建国(449〜829)→9世紀にウェセックス家の
エグバ−ト がヘプターキーを統一→デーン人の侵入が激化→9世紀末に アルフレッド大王 がデーン人の侵入を撃退 3、1016年にデーン人の王 クヌート の征服→ウェセックス家が復位 4、 ノルマン=コンクェスト …1066年、 ヘ−スティングズの戦い でノルマンディー公ウィリアムが勝利→ウィリアム1世として即位 5、ノルマン朝…征服王朝として強力な王権→ドゥ−ムズディ−=ブックの作成、ソ−ルズベリ−の誓い、フランスで習得した荘園経営の技術を導入 身分制議会の成立 1、
ノルマン 朝(1066〜1154)…征服王朝として強力な権力→ノルマンのくびき 2、
プランタジネット 朝(1154〜1399)…フランスのアンジュー伯がヘンリ2世として即位、フランスに大所領→英・仏関係複雑化 3、 マグナ=カルタ の発布(1215)… ジョン 王(失地王)の失政…仏王 フィリップ2世 と争い、フランス領の多くを失う、教皇インノケンティウス3世に破門され、家臣となる→封建貴族の特権再確認、「王もまた法に従う」という原則の確立 4、身分制議会の発展 イ、 ヘンリ3世 …マグナ=カルタの無視、重税→ シモン=ド=モンフォール の挙兵→ 1265年貴族と高位聖職者の諮問会議に 州 と 都市 の代表を招く…イギリス議会の始まり ロ、エドワード1世…1295年 模範議会 を招集→議会の制度化 ハ、エドワード3世…1341年上院・下院に分離 ニ、ヘンリ5世…下院を上院と対等、新税の徴収は下院の承認必要 ホ、本来の権利…課税承認権→次第に立法権 百年戦争とばら戦争 1)、百年戦争(1339〜1453)の原因 1、歴史的にフランス国内のイギリス領をめぐって抗争 2、 フランドル をめぐるフランス王とイギリス王の対立…イギリスは 羊毛 の輸出先、フランス王は直接支配をめざす 3、王位継承問題…1328年
カペー 朝の断絶→
ヴァロワ 朝の成立→イギリス王
エドワード3世 が王位継承権を主張 2)、経過 1、前半…イギリス優勢…
エドワード黒太子 の率いる長弓隊の活躍→
黒死病
の流行、 ジャクリー 、内部分裂→仏王 シャルル7世 の時崩壊寸前 2、後半…フランスの巻き返し…
ジャンヌ=ダルク が活躍、愛国心の昂揚→イギリスの敗北…大陸の保有地は カレー のみ 3)、百年戦争の結果 1、戦争による疲弊… 諸侯 ・ 騎士 の没落→王権の伸長 2、フランス…シャルル8世による中央集権化 3、イギリス…ばら戦争が始まる 4)、ばら戦争(1455〜85) 1、百年戦争敗退への不満→ 諸侯 ・ 騎士 の生存競争 2、王位継承問題…赤ばら紋章の
ランカスター 家と白ばら紋章の ヨーク 家の争い→諸侯・騎士も二派に分かれて争う→一層の没落 3、 テューダー 朝の成立(1485〜1603)… ヘンリ7世 の即位→ 星室庁 裁判所の創設…貴族の弾圧→イギリス絶対王政の基礎 5)、ケルト系諸国の動向 1、ウェールズ…13世紀、イギリスに併合 2、アイルランド・スコットランド…独立保持 イギリス国教会の成立 1)、ヘンリ8世の改革… イギリス国教会 の成立 1、信仰擁護者の称号→皇后カザリンとの離婚問題で教皇と対立 2、 首長法 の発布(1534)…修道院の解散・土地財産の没収→王権の強化 2)、 エドワ−ド6世 …新教に基づく祈祷書の作成→カルヴァン主義の採用 3)、 メアリ1世 …スペイン王 フェリペ2世 と結婚、カトリックに復帰 4)、エリザベス1世… イギリス国教会 の確立 1、 統一法 の発布(1559)… イギリス国教会 の再興 2、信仰箇条の制定(1563)…官吏を国教徒に限定 5)、イギリス国教会の特色…カルヴァン主義の採用、儀式などカトリックと類似、司教制維持 イギリス絶対王政の全盛 1)、エリザベス1世時代(1558〜1603) 1、 統一法 の発布(1559)…官吏の国教信奉宣誓、国教に反抗する僧侶の厳罰、旧教・異端の抑圧→イギリス国教会の確立 2、スペインとの対抗…宗教的・経済的対立→オランダ独立運動の援助、ホ−キンス、ドレイクなどの私拿捕船の後援→前スコットランド女王メアリ=ステュア−トの擁立→ アルマダ戦争 で無敵艦隊を撃破(1588)→海上覇権の基礎 3、重商主義政策…独占権賦与により商工業育成、救貧法の発布、グレシャムによる貨幣制度の整備→ヴァ−ジニア植民地の建設(1584)、 東インド会社 の設立(1600)→毛織物工業の発達→産業資本家の成長 4、特徴…強力な常備軍・官僚制が形成されず、地方行政面で ジェントリ の協力必要 王権と議会の対立 1)、革命前の社会 1、荘園制度の崩壊・農奴制の消滅…貨幣地代、ワット=タイラ−の一揆、封建家臣団の解体、ヘンリ8世の修道院領没収、第一次エンクロ−ジヤ−→ ヨ−マン (独立自営農民)・ ジェントリ (郷紳)の出現→中産階級の成長 2、 毛織物 工業を中心としたマニュファクチュアの発達…産業の自由要求→国王・貴族・商業資本家と対立 3、中産階級…議会への進出→権利の拡大要求 4、ピュ−リタンの勢力増大…中産階級の支持→国教会に不満 2)、ステュア−ト朝の専制政治 1、 ジェ−ムズ1世 …1603年スコットランドから即位→王権神授説、重税、独占権賦与、国教強制→国民との対立→王権神授説→ ピルグリム=ファ−ザ−ズ (1620) 2、 チャ−ルズ1世 …圧制の継続→ 権利の請願 (1628)→無議会政治 3)、内乱の発生 1、スコットランドの反乱→鎮圧のために短期議会(1640)→長期議会(1640〜53)→大諫奏…国王の反省と政策の変更を要求 2、王党派…貴族・聖職者…農村(ヨ−ク)が基盤 3、議会派…産業資本家・自由な商人・ヨ−マン・ジェントリ…清教徒中心、都市(ロンドン)が基盤、→ 信仰 の自由、 商業活動 の自由など要求 ピューリタン革命 1)、ピュ−リタン革命(1642〜49) 1、はじめ王党派が優勢→議会派に指導者 クロムウェル … 鉄騎隊 組織、マ−ストン=ム−アの戦いで勝利→新型軍、ネ−ズビ−の戦い…議会派の勝利確定 2、議会派の分裂…長老派と独立派の対立 イ、長老派…富裕な商人・近代的な貴族地主…立憲王制、長老制、議会で優勢 ロ、 独立派 …産業資本家・ヨ−マン・ジェントリ…制限王制、独立組合教会主義…軍隊で優勢 ハ、 水平派 …小生産者・小農民…普通選挙権、王制廃止、一院制…兵士層 ニ、真正水平派(ディガ−ズ)…貧農…土地共有制 3、 クロムウェル の軍事独裁…長老派の追放→1649年、国王 チャ−ルズ1世 を処刑→自由共和国樹立 2)、クロムエルの政治 1、中産階級の利益保障…課税の平等化、十分の一税廃止、ピュ−リタンの厳粛主義→水平派の弾圧→国内産業の発展 2、 アイルランド の征服→小作地化→ アイルランド 問題の発端 3、議会的重商主義政策…航海法(1651)→第一次英蘭戦争→勝利 4、 護国卿 に就任(1653)…厳しい独裁政治→国民の不満増大 5、クロムエルの死→リチャ−ドが継承→長老派勢力復活、王党派と妥協 王政復古と名誉革命 1)、王政復古時代 1、 チャ−ルズ2世 …フランスから帰国、1660年に即位…王政復古 2、専制政治の展開…親 フランス 政策、 カトリック の復興→議会と対立 3、議会… 審査法 (1673、官吏と議員は国教徒に)、 人身保護法 (1679) 4、ジェ−ムズ2世…反動政策の強化、常備軍の設置 2)、名誉革命(1688) 1、議会…王の廃位を決議→新国王として ウィリアム3世 とメアリ2世をオランダから迎える…無血革命 2、 権利の章典 の承認…国民の自由と権利を認める、 議会 の承認なしでは租税をかけない→イギリスの議会政治のよりどころの1つ 3)、イギリス市民革命 1、二度の革命… 専制政治 の終わり、 資本家 の活動の自由→ 市民社会 の成立、 資本主義 の発展の出発点 2、ロック『 市民政府二論 』…市民革命の正当化、革命権 議会政治と政党内閣 1)、政党政治の開始 1、王権に対する議会の優位→1670年代末に政党成立 2、 ト−リ−党 …保守派、王権を重視、地主・僧侶を代表→国教会を支持 3、 ホィッグ党 …進歩派、民権を重視、中産階級を代表→議会の権利主張 4、ウィリアム3世…両党代表者より連立内閣を組織 5、17世紀末以降、議会の多数党が組閣…政党政治の開始 2)、大ブリテン王国の成立 1、アン女王(1702〜14)…「平凡以下の才知」の持ち主→内閣の権限強化 2、大ブリテン王国の成立…イングランドと スコットランド の統合(1707)→アイルランドの併合(1801) 3)、責任内閣制の確立 1、 ステュア−ト 朝の断絶→ジョ−ジ1世即位… ハノ−ヴァ− 朝の開始 2、ジョ−ジ1世(1714〜27)…政治に無関心→ホイッグの ウォルポ−ル 首相の代に責任内閣制度が確立→「王は君臨すれども統治せず」の伝統 3、議会政治…ジェントリが指導権掌握…参政権はかなりの土地財産を持つ者だけに限定→真に民主的なものではない イギリスの植民活動 1)、アジア 1、東インド会社の設立(1600) 2、17世紀前半、革命前夜…国王と議会の対立→ アンボイナ 事件敗北後、インド経営に専念→インドのボンベイ・ マドラス ・ カルカッタ に拠点 3、ピュ−リタン革命… 市民社会 の形成→クロムウェルによる航海法の発布(1651)→ 英蘭戦争 →イギリスの勝利 4、インドでフランスと対抗→プラッシーの戦いで勝利(1757) 2)、北アメリカ 1、 ジョン=カボット の探検→北アメリカ東岸に進出 2、 ヴァ−ジニア 植民地(1584年に建設、1607年に再建)→ピルグリム=ファ−ザ−ズ… ニュー=イングランド 植民地→ 13植民地 の建設 3、植民者… 農業 を主として人口多く永住的な植民→移住植民地…自主独立の精神が強い 4、 英蘭戦争 でオランダより ニュ−ネザ−ランド 植民地を奪う→ニュ−アムステルダムを ニュ−ヨ−ク と改称 5、スペイン継承戦争でイギリスはフランスからニューファンドランド・アダディア・ハドソン湾地方などを獲得 3)、イギリス・フランスの植民地抗争 1、ヨ−ロッパでの国際戦争と並行…ウィリアム王戦争(ファルツ戦争)→アン女王戦争(スペイン継承戦争)→ジョ−ジ王戦争( オ−ストリア継承戦争 )→七年戦争 2、プラッシーの戦い(1757)…イギリスがクライブの活躍でインドでフランスに勝利 3、 フレンチ=インディアン戦争 …イギリスが北アメリカで勝利→パリ条約→イギリスが カナダ 、ミシシッピ以東の ルイジアナ を獲得 |