西アジア文化圏
四大文明の中でも最も早く成立し、その後も順調に発展していきました。
この世界の大きな特徴は他の3つ文明・文化圏のいずれとも接点を持ち、世界の中心に位置していることであります。また、他の文化圏と比較すると、自然の障害が少なく開かれています。そのため民族の往来が盛んで、複雑な社会を構成します。民族が異なると、宗教による統制はきかず、法律が発達し、ハンムラビ法典が成立しました。そこでは高度で普遍的な文化が発展しました。やがてアケメネス朝ペルシアがオリエントを統一し、官僚による法治主義的な支配を確立し、西アジア文化圏を形成しました。このためこの世界ではペルシア文化が基礎となっています。その後、アレクサンドロスが征服し、ヘレニズム世界に組み込まれ、続いてローマの進出を受けます。その間パルティアやササン朝ペルシアなどのイラン系の国家が成立し、ローマと対抗しました。7世紀になると、アラビア半島でイスラーム教が成立しました。ムハンマドは、メッカの繁栄とともに深刻化した階級対立を克服するために、アッラーの神への絶対服従と一般信者による厳しい戒律の実行で連帯感を取り戻し、アラビア半島の統一に成功しました。彼の死後、正統カリフ時代にはササン朝を滅ぼし、東ローマ帝国からシリアとエジプトを奪いました。次のウマイヤ朝はイベリア半島まで進出しましたが、カリフ権を世襲にし、アラブ第一主義を取り、アラブ人の特権を優遇しました。これに取って代わったアッバース朝は、改宗した異民族からも優秀な人材を官吏として採用し、税金面での不平等を解消し、イスラーム帝国を樹立しました。ただ、各民族の自主性を認めたためにバラバラになり、イスラーム世界は再び分裂していきます。しかしイスラーム教という共通の基盤が存在するので、それでもやっていけるようになりました。イスラーム世界では宗教が大きな力を持っていますが、それは西アジア世界の普遍的で合理的な側面を受け継いでいます。中世では中国の東アジア文化圏と並んで、世界の頂点に位置していました。
西アジア文化圏
1、前2700年ころまでに シュメール 人の都市国家成立…楔形文字、六十進法、太陰暦 →アッカド人の支配
2、古バビロニア…前18世紀にメソポタミアの統一、 ハンムラビ法典 の成立→周辺民 族の活発化
3、アケメネス朝ペルシア…前6世紀にオリエントの再統一→全国を州に分けて 知事 に よる支配、駅伝制の整備、 ゾロアスター教 →ヘレニズム時代を経てパルティア・ ササン朝ペルシア
4、イスラーム教による支配…7世紀にムハンマドが創始、神への 絶対服従 、厳しい 戒律 →ジハード(聖戦)、「改宗か貢納か戦闘か」、教団国家形成→ウマイヤ朝… アラブ帝国 の形成→アッバース朝… イスラーム帝国 の形成
5、三カリフ国の成立…アッバース朝に対抗して後ウマイヤ朝(イベリア半島)やファー ティマ朝(エジプト)の成立
6、アッバース朝のカリフ…政教両権の把握から単なる宗教的な権威→ブワイフ朝…イラン系、シーア派、イクター制度の創始→セルジューク朝…スルタン、スンナ派、小アジ ア進出→十字軍の遠征→イル=ハン国
7、イスラーム文明…融合文明、普遍的文明、都市文明→イスラーム教とアラビア語を軸に各地の民族文明が融合、特にペルシア文明が核、都市中心に発達
イ、神学…アリストテレスの哲学を基礎に神学体系樹立、スコラ学に影響、イブン=シーナー、ガザーリー、イブン=ルシュッド
ロ、数学…ギリシアの幾何学、インドの数学の影響→ 0 の概念、 アラビア 数字の完成、 フワーリズミ− (780〜835ごろ)…『積分法と方程式の計算法』
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